わたしたち現代人は、いつごろからこのように、眠ることに苦労するようになってしまったのでしょう。その原因の一つに、暮らし方の変化があるように思います。
19世紀くらいまでの人間は、日が暮れると活動を停止し、ゆっくり休みをとるというのが、一般的な生活だったと想像できます。それもそのはず、百数十年ほど前に電気という夢の文明を手に入れるまで、夜は真っ暗闇でした。せいぜい、松明かろうそく、あるいは油を燃やしたかすかな明かりだけが、この閣を照らすものだったのですから、昼間と同じように活動することは不可能です。昼は活動し、夜は休息するといった生活スケジュールは、自然のなりゆきだったのではないでしょうか。
わたしたち人聞は、こうした生活をずっと続けてきたわけですから、本来、夜は静かに眠り、朝になれば目覚めるという体のメカニズムになっているともいえます。
しかし、白熱電球の発明と普及により、夜の闇を克服できるようになってから、わたしたちの暮らしは大きな変化を遂げました。夜も明るく照らしてくれるから、もう暗閣を恐れる必要がなくなったのです。ひと言でいえば、夜も活動できるようになったということです。真っ暗だった夜道に街灯が完備されれば、安心して出かけることもできます。明るく安全な夜を手に入れたせいで、夜も昼と同じように活動する生活リズムができあがっていったとも考えられます。そして、最近は、この生活リズムがさらに加速されたといえるのではないでしょうか。
深夜番組、コンビニ、ネットが時間間隔を狂わせた
盛り場には朝まで営業する店が並び、ラジオの深夜放送は一晩中おしゃべりしてくれます。レンタルビデオやDVDの普及によって、一日中さまざまな映画を観ることもできます。テレビゲームは、自宅に終夜営業のゲームセンターをオープンさせたようなものです。
昔は、せいぜいスタンドの明かりで本を読むくらいしかなかった夜の娯楽のアイテムが膨大に広がったのです。さらに、わたしたちを宵っ張りにしたのは深夜のテレビ番組です。各局は、こぞって深夜番組の企画を充実させ、タイムリーな話題で流行を先取りするトーク番組なども多数出現しました。深夜番組が、会社や学校で若者たちの話題によるようになってきたのです。
こうして徐々に、生活のスケジュールが夜型になっていったのです。また、テレビというのは、とりたてて観たくない番組でもつけっぱなしにしていると、ぼんやりと観てしまうものです。
そして、目も疲れてシヨボシヨボになったところで眠りにつき、翌朝日が覚めると、つけっぱなしのテレビからニュースが流れていたりします。これでは心地よい目覚めなど、期待できるわけがありません。
昼と夜の区別をなくしたものに、二十四時間営業のコンビニエンス・ストア(コンビニ)の普及があげられるでしょう。街が寝静まった夜中でも、コンビニだけは燈々と明かりを灯しています。一時期、深夜のコンビニにたむろする若者たちの話題が取りざたされたことがありますが、夜の限りを手に入れられない若者が足を運ぶには、これほど最適な場所はありません。何を買うでもなく、マンガなどを立ち読みしているだけで、一人暮らしの寂しさがまぎれるのでしょう。
それでなくとも、コンビニには深夜でもお弁当やおにぎりが、ぎっしり並び、あたたかいおでんから冷たい飲み物、店によっては野菜やケlキまで売っています。数分歩けば、食べたいときに食べたいものが手に入るのです。以前なら多少お腹が空いても、売っていなければあきらめて眠ってしまったはずですが、「ある」のですから出かけていきます。
こうして、昼夜の区別がなくなったことで、新しい欲望が生まれ、それを満足させる社会のシステムが作られつつあります。この先、銀行も二十四時間営業、電車やパスも二十四時間運行されるようにでもなったら、本当に夜も昼もない社会になりかねません。たまに飲み会で遅くなったようなときにはたいへん便利ですが、毎日では体が故障してしまうのも仕方ありません
。
社会の流れが速いから寝る暇がない?
最近は、高校生の卒業旅行ですら、海外旅行が一般的になりました。しかし、こうしてだれもが簡単に海外に行けるようになったのも、ここ20~30年のことで、昔は一大決心をして、船で何十日もかけて海外に渡ったわけです。日本国内を考えても、昔なら東京から大阪まで夜行列車で一晩かかっていたのが、新幹線ができ、さらにスピードを求めて改良を重ねた結果、今では二時間半で到着するようになりました。もっと極端にいえば、東京ニューヨーク間も一日で往復可能です。とにかくすごいスピードで日々を送れるようになったのです。昔は一生のうちの移動距離といっても、せいぜい村の中を歩きまわる程度だったのが、今は比較にならないくらい膨大な範囲と距離を移動するようになったわけです。
こうした変化に応じて、人々の許容する世界も広がりました。移動時間が短くなったせいで、商品など、ものの流通も盛んになり、情報が豊富になったこともありますが、昔は村を単位としてしか考えられなかった社会が、今は国どころか地球規模で考えられるようになったのです。
それに拍車をかけたのが情報機器の発達です。わたしはこうしていろいろな原稿を書きますが、昔は手渡すか郵送するしかなかったのが、今はEメールやFAXでアッという聞に日本全国に届きます。また、家にいなければ連絡のとりょうがなかったのが、携帯電話の普及で、どこにいても連絡がとれるようになりました。その結果、皮肉にも、いつまでたっても仕事が終わらなくなってしまった…と、嘆いている人もいます。
遊びも同じです。友だちと飲みに行った帰りに携帯電話で連絡をとり、出先の彼を誘ってドライブを楽しむことも可能です。その途中で携帯のメールや留守電を確認したら別の友だちからの誘いが入っていたので、そのあと合流し、気がついたら朝になっていた。技術が進歩した結果、生きるスピードがどんどん加速され、昔と比べて、一生のうちで積み上げるものの量がずっと多くなりました。
そして、それをクリアしようと思えば、夜寝ているヒマなんかないということにもなるわけです。
